2005-02-16 第162回国会 衆議院 予算委員会 第13号
それで、具体的にまたこんな話があるのかという話を申し上げたいんですが、赤坂に洋服屋さんを出されていた田辺松雄さんという方なんですが、都心の店を売ったお金が十六億円もあったところへ、旧富士銀行、富士銀行のケースはすごく多いんですよ、旧富士銀行が相続税対策として提案融資を持ちかけてきた。よくある話です。それで、言われるままに銀行からの融資に自己資金までつぎ込んで買わされた。
それで、具体的にまたこんな話があるのかという話を申し上げたいんですが、赤坂に洋服屋さんを出されていた田辺松雄さんという方なんですが、都心の店を売ったお金が十六億円もあったところへ、旧富士銀行、富士銀行のケースはすごく多いんですよ、旧富士銀行が相続税対策として提案融資を持ちかけてきた。よくある話です。それで、言われるままに銀行からの融資に自己資金までつぎ込んで買わされた。
○説明員(村瀬松雄君) 御説明申し上げます。 本件は、ただいま先生からお話がございましたけれども、当時中国山西省におきまする日本軍、第一軍でございますが、二千六百名が命令によって残留した、こういうことでございます。政府といたしましては、昭和二十八年から二十九年までの間に、現地に残留して帰還されました方々、当時の幹部の方々、それから下士官の方、兵の方に広く調査をいたしました。
法務省民事局参 升田 純君 事官 法務省刑事局公 馬場 義宣君 安課長 外務省欧亜局西 石川 薫君 欧第一課長 外務省欧亜局ロ 小町 恭士君 シア課長 外務省国際連合 神余 隆博君 局国連政策課長 厚生省社会・援 護局業務第一課 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) 軍の命令ではなくて、自己の意思で残ったということがわかって現地召集を解除したわけです。ところが、先ほどの先生のお話ですが、二百六十名についてどうしてこれを見直したかということですが、これは実は、三十一年から三十三年にかけまして国会でいろいろ御議論がございまして、御遺族の心情に配慮いたしましてそういう措置をとったものでございます。
フリカ局長 小原 武君 外務省国際連合 局長 澁谷 治彦君 委員外の出席者 警察庁刑事局捜 査第二課長 林 則清君 大蔵大臣官房企 画官 浜田 恵造君 厚生省社会・援 護局業務第一課 長 村瀬 松雄君
井門 寛君 説明員 外務省アジア局 審議官 竹中 繁雄君 大蔵省造幣局東 京支局長 和田 恒夫君 大蔵省印刷局総 務部長 中山 寅男君 文部大臣官房審 議官 岡村 豊君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) 今の御質問でございますけれども、当時におきます経過を私もう少し御説明申し上げたいと思うわけですけれども、どこの時期をとらえて上官の命令であったとおっしゃるかどうか、そういうことでございます。
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 ただいま御質問の、当時中国山西省にありました日本軍の第一軍でございますけれども、これにおきましては、山西軍に残留を希望する将兵に対しまして全員帰還の方針をもって説得しております。それで、これにもかかわらず、その説得に応ぜず残留した者に対しまして、当時の陸軍部隊の復員に関する規定に基づきまして現地召集解除の処置がとられたものであります。
局人権難民課長 大蔵省主計局司 設楽 岩久君 計課長 国税庁課税物資 高氏 秀機君 料調査課長 文部省初等中等 教育局高等学校 辻村 哲夫君 課長 文化庁文化財保 護部伝統文化課 渡邉 隆君 長 厚生省援護局業 村瀬 松雄君
山本 和昭君 法務省訟務局民 事訟務課長 中野 哲弘君 大蔵省主計局主 計官 原口 恒和君 大蔵省主計局主 計官 岩下 正君 厚生省援護局援 護課長 戸谷 好秀君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
外務省情報調査 局情報課長 吉原 修君 大蔵省主計局主 計企画官 佐藤 隆文君 文部省初等中等 教育局教科書課 長 矢野 重典君 国政大臣官房国 際課長 澤村 宏君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) 御説明いたします。旧日本赤十字社救護看護婦につきましては、昭和五十四年五月、同赤十字社作成の資料集によりますれば、二万四千七百二十四人が救護看護婦として派遣されております。このうち一万一千三百六十八人が戦地勤務に服しております。
総務庁行政管理 局長 増島 俊之君 総務庁恩給局長 新野 博君 総務庁統計局長 井出 満君 委員外の出席者 外務省欧亜局ロ シア課長 小町 恭士君 厚生省児童家庭 局母子福祉課長 冨岡 悟君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
近藤 信司君 文部省教育助成 局地方課長 小野 元之君 文部省高等教育 局大学課長 泊 龍雄君 文部省学術国際 局研究機関課長 佐々木正峰君 厚生省援護局庶 務課長 田島 邦宏君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 厚生省は、先般四月十八日、ソ連政府から提供されました死亡者名簿すべての翻訳を終わりまして、五月二十七日に公表したところでございます。名簿は約三万八千名分ございまして、埋葬地ごとに氏名、生年、階級及び死亡年月日などが記載されておりました。
○説明員(村瀬松雄君) このたびのソ連政府から提供されました死亡者名簿は、既に申しましたように三万八千名でございました。それで、厚生省といたしましては、今までに生還された方からの情報を聞き取ったり、あるいは留守家族から出されました未帰還者届、こういうものを基礎にいたしまして、ソ連に抑留されておりました死亡者の数は約五万三千名と推計いたしております。
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 山西軍に参加するために中国山西省に残留しました旧日本軍につきましては、昭和二十八年、二十九年にかけまして、残留者に対しまして当時通信調査または直接御本人を厚生省に招致いたしまして当時の状況を調べました。
厚生省保健医療 局企画課長 荒賀 泰太君 厚生省援護局庶 務課長 田島 邦宏君 厚生省援護局庶 務課中国孤児等 対策室長 田代 章一君 厚生省援護局援 護課長 戸谷 好秀君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 まず数でございますけれども、旧日本赤十字社救護看護婦につきましては、昭和五十四年五月の当省作成の資料によりますれば二万四千七百二十四人が救護看護婦として派遣されております。このうち一万一千三百六十八人が戦地勤務に服しております。
房管理室長 櫻井 溥君 総務庁恩給局長 高島 弘君 委員外の出席者 人事院事務総局 公平局長 丹羽清之助君 内閣総理大臣官 房参事官 井上 達夫君 厚生省年金局年 金課長 江利川 毅君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
結城 章夫君 科学技術庁原子 力局原子力バッ クエンド推進室 長 広瀬 研吉君 科学技術庁原子 力局原子力開発 機関監理官 白川 哲久君 法務省入国管理 局登録課長 山崎 哲夫君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) 一九七一年に韓国政府の要請によりまして、朝鮮出身の軍人、軍属の死亡者名簿を外交ルートを通じまして送付しているところであります。
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 厚生省は、旧軍についての人事関係の事務を引き継いでおりますので、軍人、軍属につきましての名簿を保有しております。
職員局審議官 望月 憲司君 内閣総理大臣官 房参事官 平石 治兌君 法務省民事局参 事官 岡光 民雄君 外務省北米局安 全保障課長 重家 俊範君 外務省国際連合 局軍縮課長 神余 隆博君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(村瀬松雄君) お答えいたします。 終戦後、旧満州地区には当時中共軍及び国民政府軍が相次いで入りまして、両軍ともに多くの日本人を強制的に徴用して、戦闘、後方勤務、技術等の要員として留用した経緯がございます。
総務庁恩給局長 石川 雅嗣君 外務大臣官房外 務参事官 時野谷 敦君 文部省体育局長 前畑 安宏君 委員外の出席者 経済企画庁物価 局物価調整課長 中名生 隆君 厚生省年金局年 金課長 松本 省藏君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
鈴木 杲君 外務省北米局長 有馬 龍夫君 外務省欧亜局長 都甲 岳洋君 外務省条約局長 斉藤 邦彦君 委員外の出席者 警察庁刑事局国 際刑事課長 兼元 俊徳君 北方対策本部審 議官 鈴木 榮君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
房管理室長 文田 久雄君 内閣総理大臣官 房参事官 平野 治生君 総務庁行政管理 局行政情報シス テム参事官 重富吉之助君 委員外の出席者 外務大臣官房外 務参事官 渋谷 治彦君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
委員外の出席者 警察庁警備局外 事課長 國枝 英郎君 防衛庁防衛局運 用課長 大森 敬治君 法務省刑事局刑 事課長 石川 達紘君 大蔵省主計局主 計官 永田 俊一君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
外務省国際連合 局長 遠藤 實君 委員外の出席者 防衛庁防衛局運 用課長 大森 敬治君 防衛庁教育訓練 局訓練課長 柳澤 協二君 外務大臣官房審 議官 遠藤 哲也君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
内閣総理大臣官 房特別基金検討 調査室長 平野 治生君 総務庁行政管理 局管理官 片岡 勒君 国税庁長官官房 会計課長 服藤 收君 厚生省援護局援 護課長 山岸 親雄君 厚生省援護局業 務第一課長 村瀬 松雄君
○説明員(稲見保君) 関戸松雄君は、本を出したときはたしか羽田の電話局に勤務しておりましたが、その後、羽田電話局を管轄しております私どもの方の組織で大田地区管理部というのがございますが、その大田地区管理部の庶務課に配転になっております。
それで、その著者の関戸松雄さんという方はいまはどうしていらっしゃるんでしょうか。